南部せんべいは、八戸、二戸、盛岡など旧南部領では南部藩の野戦食として四百五十年も昔から焼かれ、食べられていました。保存も利くし、材料も身近にあるので、便利だったのでしょう。それに白い米など口にできない、貧しい農民にとって、かまどや囲炉裏で焼く蕎麦粉や小麦のせんべいは、主食としても大切な食料でした。お菓子らしいお菓子が全く姿を消した、終戦間もない頃でも、小麦と胡麻だけはどこからか集まり、材料集めの苦労らしい苦労はありませんでした。(小松シキ著『むすんでひらいて』より)
それと、南部の暮らしに、せんべいは欠かせない物なんです。法事や祝儀に、せんべいは付き物ですし、そういえば、婚礼には、せんべいの上に赤飯を握って乗せ、近所の人に配り歩く習わしもありましたね。お産のお見舞いにも、焼き麩とせんべいを届けるものと決まっていました。これに、玉子を何個か付けたら、これはもう、最高の立派なお産祝いで、貧しい時代だったかもしれませんが、暮らしは、温かかった、としみじみ思います。あんこや砂糖も無く、お菓子など無い時、かすかな味わいの胡麻の付いただけのせんべいが、ほんのりと、ごちそうめいていました。(小松シキ著『むすんでひらいて』より)
昭和23年に、小松シキが21丁の焼き型から始めた南部せんべい屋。今ではさまざまな味の南部せんべいがございますが、当時は胡麻せんべいが主流でした。南部せんべいの小麦と胡麻の素朴でどこか懐かしい味わい。それは、昔おばあちゃんが囲炉裏端で焼いていたせんべいのぬくもりを伝えてくれます。当時の味を伝える「胡麻」「落花生」「醤油」の南部せんべいは、おばあちゃんシリーズとして巖手屋の定番人気商品となっております。