南部煎餅の由来はいくつかありますが、600年ほど前(建徳年間)、長慶天皇が南部地方巡幸の際、家臣が付近の農家から手に入れたそば粉を練って丸い形に焼き、胡麻をふったものを天皇に供したというものが代表的です。その後、今から450年ほど前には南部藩の野戦食として食べられていました。また、南部藩の領民は白いお米は手に入りませんでしたので、そばや大麦を主原料として主食やお菓子・おやつとして食べておりました。
明治時代に入り小麦粉が主原料となった頃から商品として本格的につくられるようになり、1952(昭和27)年、砂糖の統制解除とともに洋菓子が普及し一時哀退しておりましたが、全国で実演即売をおこなうなどのPRをした結果、岩手の代表的銘菓、昔ながらの素朴なお菓子・おやつとして評価を得るようになりました。
昭和23年に、小松シキが21丁の焼き型から始めたせんべい屋です。
シキが12歳の頃、青森県の小さな町のせんべい屋に奉公していた際に覚えたせんべい焼きが南部せんべいとの出会いでした。当時は胡麻せんべいが主流で、昔はどこの家でも囲炉裏端で焼いていたものです。
一枚のせんべいには、自然の恵みに加え、お客様をはじめ多くの方々のご縁とご協力をいただいております。この感謝の気持ちを忘れずに、これからもより良い商品を作ってまいります。「感謝と創造」を基本に、巖手屋はこれからも“まごころ”を形にして、皆様にお届けします。